神様の所へ帰してあげるのが供養祭だよ。

先日の供養祭で

体の不調、生まれながらだと言われる。

普通に生まれなかった理由があり

それは 先祖の因縁がそうさせたと申されて。

聞くと生まれた時に首が曲がって生まれてきましたと。

そう問答しながら進む供養祭に
白い着物袴をきてその先祖は
神事を執り行ってきた者。

けれども陰謀と策略とに陥れられて
首を切られて殺されてしまった。

そうか。 とても古い古い先祖さん。
平安か平城京時代の。

式が終わる頃

あなたの生まれながらの体調の不調は
今伝えた先祖の因縁が
(分かって欲しくて訴える結果起こること)
そもそもの原因だったよ。

そう伝えて話を進めていく中

信じてその先祖の無念を鎮めてあげたい

供養をしなければと話した途端。
ご本人曰く「あれ??何か。」「?ん?」「 首が楽になった」と。

体力がなく背中も首も痛く
仕事も辛くて辛くて40年近く。
やっとここに来てわかってあげられたので 先祖も納得して身を引いた。

供養の約束をしたので障りが収まった。

どの手立ても病院も
占いも 祈祷師もあらゆる方法を用いて 長年苦労をしてきたけれど
とっくに諦めていたという○○さん。

良かったね。 先祖さん。苦しかったんだよ。

いつの代か
子孫に分かる者が現れていつの日か
自分の無念を鎮めてくれる者を待ちわびた。

何千、何百年経とうと思いは 持ち続けるのが人であるから

そうした人の思い
子孫は受けて分かる者が現れるまで
また、しっかりと神の国へ帰してくれる者を待ちわびて訴え続ける。

私は毎日、そうした先祖さんたちの思い

神も生きておられた方の場合でも
どれだけ古くても受け取る。

そしてどのようにして欲しいか私は聞く。

歴史に残る人たちのはっきりと姿かたちを視る。

宇土家と細川家に生まれた因縁が
深く関わる人たちとの出会いで私は
自分のまた出会う人たちの祖先の思いを
神の国へ帰す役割があるのでしょう。

国も宗教も宗派も人種も関係なく

私たちが元は一つであったから

その隔たりのない心で

神に仏に向かって欲しいと私は思う

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