家につき
実家に携帯とメガネを忘れたことに気がついた
(>_<) もう、この時間なので 電話は鳴らないだろうけれど 究極に眠いので もう取りに行くのはやめにしたよ。 (@@;) 今はもう一つのノート型携帯で更新をしてます。 今日は、いや、昨日か 気分転換に部屋の片付けをしたら、まあ! 奇麗になり大満足な私。 買い足したものはあるけれど 押し入りの戸を外し 突っ張り棒にシャワーカーテンをつけて 幸せ気分。 ちょっとしたことに幸せを感じられる私に育ててくれた親に感謝です。 母も75になり同じことを何度も話すけど 認知症は確実に進んでるなぁ。 母は私たち姉妹に迷惑をかけたくないから 認知症になったらすぐに施設に入れてねと 言ってたけど いやまて。 もうそれも忘れてるだろうな。 施設に入れるつもりは毛頭ないけれど 昔の記憶が混合してる母をみて 覚悟をしておかないとと最近思うのです。 娘はよく お祖母ちゃんはお母さんには甘いよね。 ○ちゃん(妹)より絶対的に甘いと言う。 仕方ないのよ。 お母さんはお祖母ちゃんの目であり手であり足であったのだもの。 私が行くと 神様の話が聞けると喜んで 何時であろうと起きてくるし 私が帰るまで寝ない。 さっきも、今日はもう遅いから泊まっていきなと言ったけど いや、○が待ってるから帰るよと 淋しそうな母の顔を後ろに帰ってきた。 親はいくつになってもありがたい。 神様が見えたり 自然界のものたちからメッセージを受け取ったり出来るのも 母がいたから。 私を産んでくれたから。 仮死状態で生まれる前 私は本当に相当 この世を拒んだんだね。 けれど両親の愛に打たれて生をもう一度選び こほっと言って息を吹き返したのだそう。 今も覚えているけれど 生まれるときの瞬間のあの眩しさはやはり目を開けてられないのです。 なのでこの世の光に慣れるまで赤ちゃんは最初、目が見えないのね。 生まれてこれなかった子の魂は 親が自然に、また知らずにおりたのか また 人工的なのかで 入っていく学びの世界の入り口が違う。 一つの事柄の学びは 環境、状況が全て違うので同じ様な経験を繰り返して 次のステップにいく 同じ様な、であって決して同じ経験はないので 何百通り 何千通り 何万通り 繰り返して次のステップにいく こうして私はあちらの世界の仕組みを教えられ 私たちの世界の数字ではとても計算できないほど 魂は完成のために学びの修行をしに降りてくる 人が ああ、何て不幸な、と思う死に際でも その魂が それが最後の学びなので 完成して神の国へ帰り またそこで 次はどうするか決める 神の国へ残るのか 人を助ける存在として降りるのか。 だけれどそのためには相当のまた修行が神の国でまっている。 本当に生まれるだけで奇跡なこと ちょっと分かってくれたかな。 さて、そろそろ寝ますね。 2時50分でございます。 (*^_^*) 皆さん、身体に気をつけて 食べ過ぎず 飲みすぎず 働きすぎず 愚痴を言い過ぎず 気短を少しでも直し 丸く丸く行って下さいね。 神様は丸い丸い。 神様に近づきたい人は 自分の心 丸く丸く行くんだよ。 神は人の心をつくる。 それが私たちの修行。 おやすみなさい。 (*^_^*)