大切な人の病

 

一緒に泣き暮らすことも出来るけど

慰めたり優しくしたりする人は

沢山いる。悟らせる人も沢山いる。

そうか、よしよし大丈夫、と

頭を撫でてくれる人は沢山いる。

 

 

人は弱いものでつい自分が甘えられる方へ

行くけれど
甘えさせることは

生きる力を弱らせもするから

力づけたり気をふるわせたり

生きる原動力へのアクセスを

私はそこへ働きかけられればと思う。

悲しみに沈み

生きる力を失った者は

怒りが病気を跳ね返しもするんです。

 

 

孔子のお話で 

あるお金持ちのお家の娘さんが

全く部屋から出てこなくて父親は困り果て

親の方が病気になり生きていくのも嫌で

死にたいと。

何か良い方法はないかと相談を受けて

孔子のとった行動は

大金を用意させ

そのまま身を隠しました。

怒った依頼者はそこから元気を取り戻したというお話がありますが

これは極端に聞こえるだろうし

今の時代の人に通用するかと

声も上がるかも知れませんが

気を起こしてあげないと

いつまでも悲しみに暮れては

回りの者も共倒れになったら

親も悲しい子も悲しい結果になります。

気が死んでしまわない様にふるい起こさせるには荒治療の様に思うけれど

悪者の様に思われもするだろうけれど

慰めるだけが良い方法とは言い切れないんです

気が枯れてしまった後

人間がどのようになってしまうか

私はとても多くを視てきました。

一緒にもちろん泣きもするけれど

時に乱暴の様に聞こえたり思えたりしても

そこに「愛」があれば

必ず伝わるし

一時の悪人扱いも

その人が良くなればそれがすべてです。

関連記事

メニュー

最近の記事

  1. 2024.12.3

    我を忘れる

アーカイブ

PAGE TOP