何故だかな
何故自分のところばかりこんなに悲しいことが多いのだろう
あれもこれも
次にまた起こり
悲しむ水子は
悪さをするつもりはないのです。
ただ、生まれてきた子と同じように
母親や、兄弟姉妹に甘えて
足元にはいはいして
腰にくっついて
背中に乗って甘えているだけなのです。
心(自律神経)に訴えかけて分かって貰おうとするのです。
だけれど、こちらが分からないから
心が体が弱って行くんだよ。
水子だけではなくて、
仏様の訴えはみんなそうした形なの。
親が分からなければ子へ
子が分からなければまたその子へ
こうして何代も浮かばれない仏様は訴え続けるの
自分の代で分からなくても
自分の亡き後にも続いていってね
霊体はもちろん肉体がないので私たちの感覚の時間もないんです
だから、天国に昇るまで気づいて貰うまで続くのが仏様の作用なのだよ。
私はあちらの世界を視るけれど
とても悲しくて
何故、分かってあげられないのかと
悲しくなるよ
仏様の思いと
その先の災難とあるのにな。
人は本当にそれが起こってからでないと分からないのね
悲しい思い
痛い思いをしなければ分からないのね。
それからでは、遅いのにと言う人、
私は沢山見てきて
供養祭の必要性をなかなか分かって貰えないけれど
これも私の定めと
泣くことも多い。
だから、素直になって
神様の伝えてくること
しっかりとやっていって欲しいと
常に常に思う。
そうして、本当に幸せになった人、沢山いるのだよ。
親子、親戚の恨み辛みのいがみ合い
代々のいがみ合いは
ほとんどが
仏様の作用が大きいのだよ。
明日死ぬ
明日まで命がないと
そうしてくる人、
私は神様に向かうと涙が出るの
皆を生かしてくれてありがとう
私を生かしてくれてありがとうって。
*写真は大洗磯前神社の御手洗池の前の大黒さま社前
地震で大黒さまも御手洗池も土砂で埋まって無くなってしまった。
神様は瞬時に移動されて安心だけれど
神様までもと思うと心が苦しい。
目に見えない
原因とその働きの因果関係の現象は
神でもあるのだから
私たちはもっと神仏みつめて
やるべきことをやって災いまともに食らうから
仏の作用をせっせととって行かなければ
これからはもっと後がないのだよ。