雪 降って不浄を祓う

今日の突然の雪。

もう四年以上前になるか。

季節がなくなるって申されたけれど

人間の心のたがが外れると申されたけれど

神様の言われることは必ずその時が
来るもので

私たちはだからこそ神様からの予知を
真摯に受け止めて
未来をどう生きていくか
大切だと思う。

自分の思う良い結果にするために
知恵を貰い
自分が努力することで
神様は力=技を下さる。

前にね。
神の国へ案内されたことがあってね。

そこは白く輝く光の世界。
肉体のある内は決していけない世界でね。
私は起きていて体験させて貰ったけれど

神の真っ白に輝く光の世界の入り口の真ん前で私は
「(肉体があるので入れば一瞬にして気が触れてしまうのを教えて貰った)肉体があるので入れません」と話しました。

周波数=エネルギーが違いすぎて
肉体の持ったまま入れば
一瞬にして気が触れてしまう。
神の世界は不浄の全く無い真っ白な世界なので
この肉体自体
自分の抱く思い(念)=マイナスな思い
怒り、悲しみ、苦しみ、妬み、恨み、そねみ、自爆的な心 等諸々、、、

人から受ける思い(念)=マイナスな思い
怒り、悲しみ、苦しみ、妬み、恨み、そねみ、自爆的な心(こちらに対する「お前のせいでこうなったわ!」「お前のせいで⚪⚪してやる!」等の思い)
自分の心身や
物質的に自分を苦しめたり痛め付ける行為
お金や物に執着しすぎること
人に何かに執着しすぎること

これらは全て人間だから
肉体があるから起こることで
それを決して神様は「悪い」とは言わない
けれどこのマイナスなことが
私たちを生きにくくする。
どちらを、選択するかが大切なのだと
神は言われる。

私たちの負(マイナスな思い)=良くない思いは出来るだけ持たない様にしたいけれど
それは私たちが学んで
神の国へ帰るとき修了書を持って行くための過程であるから
大切なことなんだよ。

だからこそ
どのように生きるかがたいせつなの。

神の働きはプラス
仏様の働きは私たちに無念の思いを伝えてきて、それが因縁というものだけれど
何代も続く
そして良くない事が色々起こるのでマイナスの働きとなる。

自分の代で因縁を返さない上に
自分も因縁を作るでしょう?
そしてそれを子に残すんだよ。

そして肉体が無くなり
粗末に扱われれば自分とて成仏させてくれと訴える。

お葬式しただけでは人であった仏様は
天国に行けないのだよ。
お経もね
心が無くては全く届かないのだよ。

義務やおざなりの経はね。

その仏様の生前の性分で
何回忌、という頃には
無念の荷物を全て手放し
光の射す方へ行けて成仏できるけれど
なかなかなかなかわずかな仏様でね。

水子、事故で亡くなった仏様
自ら命を断った仏様も
そのときのままで
痛い苦しいと末代まで訴える続ける

人も仏様も同じ。
苦しみを分かって欲しい。

ここにおられる神様は
供養祭のとき
降りて下さって根の国底にいる者までも
手を引き神の国へ連れていってくれる。

なので災いとして現れていることが
1つ減り
二つ減りしていくから
良くなって行くんだよ。
因縁(マイナスを起こすもの)を返して行くから良くなって行くんだよ。

また土地の不浄は
家屋敷汚すこと。

建ててはいけない所に物を建てること。

地鎮祭をしないこと。

これ等は神を敬わない行為なので
永久にというような病や怪我になる

何故だ?何故だ?と長い年月
家族の怪我や不調で知らせてくる。

井戸を潰した
昔あった屋敷内の社を潰した
かまどを潰した

思い当たる人は沢山いて

話をしても聴く耳を持たないから
良くなって行かないの

儚い人の世であるのだから
あちらに行って神に胸を張って
私は先祖さんや神様に笑顔で挨拶したいと思う。

あちらの世界はとてもとても長い

想像できない数字だよ。

人の心の雪解け

雪が降り不浄を祓い

本当の春が誰の心にも訪れて

未来ある子たちへ徳を残して欲しいと
私は思うよ。

供養祭では
目に見えない仏様に心を届けるので
とても多くの徳を積むの。
それは神様「魂救い」だからと申されたよ。

この魂救い
自分に被っている仏様が離れていくので
本来の自分が表に出てきて
内も外も光輝いていくの。

そうすると不浄(マイマス)が寄ってこなくなるんだよ。

第一に大切な不浄のない状態に近づくということ。

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