神様が願いを聞いてくれるとき
人の力の及ばないところを
不思議な力で叶えてくれるけれど
おざなりや
義務や
強制の、心では動いてくれないんだよ。
幸せにしたい
良くなって欲しい
元気になって欲しい
私たちの相手を思う一心に
また努力をする私たちの姿に
神様は動いてくれる。
生きているだけで100%既に神は力をくれているので
あとの願いは「願う心の一心さ」。
「ただただひたすら
自分の努力(出来ないと思う心に打ち勝つ)を重ねて
その行いをし」
一心に祈り、願う心に
自分の手の届かないところを
動いてくれる。
お経も
真心がなくては
お供えも真心がなくては
「仏の前に灯りはともらん!」
(悟りのお経もお供えものも届かない)
おざなりや義務の心では
飾りの餅。
神はそう言われるの。
どんなことにも
どんな世界にも
真心で向かわなければ何も変えられない
私たちの努力と一心に祈り
手を合わせる姿をみて
動いてくれる。
何度も伝えてきたけれど
素直に神様の教えを聞いて
生きていける人と
そうでないわ!自分の力で切り開いていったから
これからも全ては自分の力のみ!
と思って自分の力を過信して
信じないものは
良くなっていかない。
自分のしてきたこと
積んだ成績やお金。
自分を誉めるのか
神に感謝するのか
道は大きく別れてしまうのが私たち。
成功も神の働きがあってこそなんだよ。
運命の分かれ道のとき
ゆめで
あるいは目の前に大好きだった父母たちが現れて
助かったということも
仏の生前の子孫に残した徳をみて
先祖の積んだ徳をみて聞き
神様が動いて
本人に分かる形で
その姿を見せてくれる。
仏様は生きていた人なので
神の様に不思議な力で人を助けることは出来ないの。
そこには必ず神様が動いてくれてのことなんだよ。
仏様も先祖さんも今、生きている
私たちの家族だから
大切に思い
手を合わせて
生かしてくれている神様に毎日感謝して
自分の役目を果たしていけたら。
生きているだけで
100%で助けてくれているのだから
余分な願いを叶えるには
努力。
言われたことを「素直」に聞いて
一生懸命努められたら
その人は必ず良くなっていくんだ。
全ての人間を
そのように作ってくれているのが神様なんだよ。
※子沢山は苦労も多いけれど
その分、幸せもあとで多くなるから
しんどいな苦しいなと
悩みすぎずに行かれてね。
全ての苦しみ
神、悪いようにはせん!言われる。