普通の幸せ

ふと考えることがある

そういえば私の耳は
ある一定の低い音が聞こえない

その音が続いたときは相手が口を
ぱくぱくとしているのしか
見えなくて困るときがある。

低い音なのでだいたいは
男性の声なのだけどね。

生まれながらなのかも知れないけれど
神様から耳を貰っているので
必要に迫られたら
それは分かるようになっているから
ありがたいなぁと思う。

家族が帰ってくるときは
早くから音がするので分かる。

自転車の音や車の音。
またはこの家に
入ってくる姿で分かる。

時に何をしているかも視えるので
これがまぁ。たわいないことや
そうでないこと
あるので困ることもある。

だから昔は
神様にたてついた☆

自分が神と決めてきた人生なのに

イヤだイヤだと駄々をこねて。

50年の経験をしても
たったまだ50年。

はやくあちらに帰りたいと今でも
無性に思うけれど
どうせ帰るならちゃんとしっかりと
経験と力と技と積んで磨いて誉めて貰わないとね。
修了書を貰わないといけないからね。

あの声は久しぶりに聴いた神の声。
三輪山の頂上登っているときに
「眼の中に入れても痛くないほど
可愛い奴が来たわ」と
言われて嬉しくて張り切って
登ったっけ(笑)

まだまだ修行を積んで誉めて貰いに
帰らなければ。
だけれど来世は普通の人生がいい。
そうしよう。
叶うならの話だけれど。
そうしよう。
えっ??
まぁすでにもう決めてい
るらしい。
また同じように指導する者として
生きるらしい。
ううむ。。ううむ。
ううむ。
普通に生まれて
普通に育って結婚して
笑いの絶えない家庭を築いて
普通の老後を過ごして
普通に逝きたい

暴力や喧嘩のない家庭
特別な力を持たず
注目を浴びることもなく
普通にそっと生活がしたい

普通がいい。
特別でなくていい。
普通が何より
それが幸せ。

だけれど
学びを持って生まれてくるから
私たちのいう
普通の暮らしというのがまたまた
難しいのだね。

人は特別にいろいろと
ああであったらと
こうであったらと思って
不足を思うけれど
普通が幸せ。

そして
足りないくらいが丁度いい。

私はそう思うよ。

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