以前、申されたよ。
人を殴るは
神を殴っているのと同じって。
人を傷つけるひとも同じ。
言葉は刃物だから
基本的に
自分だったらと考えて言葉も使うんだよ。
怪我をした
高熱が出た
暴力にあった
これ等全て神様がその痛み
あなたの代わりに受けているんだよ。
なので、ひどいことをと思っても
それでもそれで済んでいるの。
なので、傷つけられたと思っても
真底は
守ってくれているし
心底傷つけられてもいないんだ。
神はそうして私たちの目に見えないところでしっかり守ってくれている。
私はそうした自分の体験を通して
いつも神が知らせてくれる。
無いものをあるように
あるものを無いようにしてくれる
奇蹟も起こす
それが神様なんだ。
(⌒‐⌒)
神仏分からん者に
神、揺さぶって働く!!と
咋年末申された。
神仏のことしっかり学び
それは知識ではなく
心で受けとり
心で動くものだから
良くなるために素直になって
神と自分の絆を深め
苦しんだ仏様を神の国へ一人でも帰してあげて
私たちは成長するの。
この話もまだ分からない人は大勢いると思うけれども
神のせかいも
仏の世界も
私たちの世界も
自分だったらと置き換えてみたら
分かりやすい。
(⌒‐⌒)
マリア様
イエス様
マザー・テレサ
天女に精霊
慈しみ
愛のかたまり。
そんな人になりたいね
私はいつもそう思う。