成仏って何?

今日は初めてか

子どもの泣き声で目が覚めた
覚めた後も泣き続ける男の子
置き忘れられ
僕はここだよと言葉を話せない子は
お母さんの耳に届くかと 泣き続ける

お母さん、どこに行っちゃったんだろうね。
私は次に来られる人の または次に控える供養の者の知らせを 早くから受けるので この子もまたここに親、兄弟姉妹が来るのだ ろう。

成仏って
何だと思う?
成仏って 亡くなった人がこの世に思いを残さないこと だよ。

お葬式が成仏したことではないんだよ。

また、1周忌3周忌という法要が区切りがつい たので もう仏様のことはしないという人もおるけれ ど それは違うの。

あくまでも生きていた頃の思いが(あちらで は無念という荷物) 成仏するかしないかということなんだよ。

それをしっかりと理解しなくてはいけないの 。

仏様の色んな捨てきれない思いが
私たちに霊的現象となって現れるの。

仏様も生きている者と同じように思いは持ち 続けるんだよ。
そのこの世に残す思いが
思いの数だけ重くて神様の国へ行けないの。
だから私たちは仏様へお灯りとお線香あげて 悟りの経を唱えるの。

仏様も生きていた性分のまま。
1回言って解る人と何回言っても解らない人と いるね。
それは亡くなっても同じなんだよ。

生きている間の無念を捨てきれて初めて 神の国へ帰れるの。

やり残したこと。
気にしていること。
その数が多い分
あの世で荷物を持つことになる。
無念の数だけ荷物を持つ。
荷物を持つから身 が重い。
思いという荷物をひとつひとつ 捨てて身が軽くなって戻れる国。

100の無念があればそれを長い時間をかけ て ひとつひとつ悟って貰うこと。
100の無念の一つを悟るのに時間がかかるのは
自分に置き換えたらとても分かることと思う 。

私たちもいろんな思いをもって
捨てきれない思いを沢山もつね。
その思い捨てろと言われてもなかなか出来な いね。

だけれども仏様はそれを手放さないと悟らないと
全ての無念の数を0にして身が軽くならないと
真上の、また不浄の一切ない神の国へ 戻れないの。

身が軽くなるには生きている私たちの悟りの
経や 毎日の仏様を思う心で仏様はひとつひとつ思いを 手放さなくてはと思うようになる。

だけれども一人の人間の持つ無念は
とてもとても多いので
その数を数えたらとてもとても 自分の代だけでは一人の仏様も帰してあげる ことは時間がかかるね。
自分の代、また、自分の子供の代、またその子供 またその子供。 「子々孫々、朝晩続けて毎日、仏様にお供えをして 「真心こめて」経をあげて仏様はその中で悟られる。」

仏様も自分の知っている人、
可愛がってくれた人には
お供えをするけれど こっちが覚えていなくても、あちらがこちらを 可愛いと思っていたら思いを寄せてくる。

会ったこともないし思っても 生まれる前に楽しみにしていたならば思いを寄せる。

また、この者なら分かってくれると思えば血の繋がった先祖は必ず 思いを寄せる。

わかりやすく言うと先祖さんたちは 「血の濃さ」で また、霊的な心の分かる者に思いを寄せるのです。

一人の人の無念だけでもこれだけかかるのに それが沢山の無念の先祖があれば それだけ頼ってくるから私たちは 体に受け様々のところで影響がでる。

お花、ろうそく、お線香。お茶。季節のお供えもの等
生きている者が毎日食事をするように 仏様も喉が渇くし食べたいと思うものがある 。

お仏壇がないんですと言われることにおいて
お仏壇は簡易なもので良いので作って差し上げて
お供え物をして。
その際、扉の役目になる物をつけて差し上げるのだよ。
また、自分の腰から下に置いてはダメだよ。

また、同じお部屋の場合は
神棚と仏壇との境界線を作るのだよ。

板で仕切るとかね。
でないと仏様が恐縮してしまうの。
神の世界と仏の世界は違うからね。

お位牌がなくても
「お名前を呼んで」お供えをするんだよ。
でないと届けたい仏様に届かないんだよ。

ガラスのコップは届かないから 瀬戸物の湯呑であげてね。

水子の場合は自分の、
または自分の母の名の あと ○○の第1子どうぞとお供えをしてね。

水子が二人の場合 ○○の第2子どうぞ。
水子の三人目なら○○の第3子どうぞ。

幾度と伝えたけれど
お願い事は神様 仏様、
ご先祖さまには日々見守ってくれてあ りがとう。

仏様は生きていた人なので
神のように不思議な力で人を助ける力はなくて とても困ってしまうの。

では何故あのとき大好きだったおばあさんが 出てきてくれて 私を助けたの?ということもあるけれど
それはその人が分かる形で
神がわかるように私たちを助けるからなんだよ。

せっせせっせと供養祭をしている人がね
どんどんどんどん体が軽くなっていって
自分の悪い箇所がひとつひとつ健康になっていって
今では何十年のこの不健康さは 自分の持って生まれたものではなかったこと 体感して
毎日がはつらつと 活力に満ちて頑張っている。

私は来られる人に 神仏を伝える役目として伝えることが役割なので伝えるよ。
けれどするしない。信じる信じないは 神様、人の自由意思に任せているし
仏様が頼ってきていない人はいないから
あなた憑いてるよと言うような人に
惑わされないようにね。
誰でも先祖はいるし、
いやその仏様 その人の祖父母、
または曾祖父母じゃないの 。
いや叔父さんじゃないの
いや、あなたの知らない兄弟姉妹よ。
それをやれ憑き物みたいに祓うなんて。
自分の先祖さんたちはどこにも行かないよ

私は神様が仏様を連れて行ってくれるので
その場で私たちへの影響がなくなるので
物事が難なく運ぶし健康になっていく

信じるものは救われるという言葉があるけれど
見えない世界に通じる全ての力は
信じることだと私は伝えたいよ。

今、供養祭、神様の感謝祭がたてこんでいるけれど
私は毎日良くなっていく人たちを見て涙で神にお礼を言う。

私たちは霊的進化の道を歩まされ
気がついていく者は多くの幸に気がつく。

そろそろ、もう気がついていかないと。
人間はこの世で修行をさせられて
霊的部分を学んで帰る魂だから
仏様を神の国へ帰してあげられたら
その時、神はそれを行った者に徳をくれる。

因縁抱えて辛いわ辛いわも
終わりにして
物質的な心を目に見えない世界の価値に変えて
心も体もはつらつと子々孫々、徳を残して行きたいと 私は思うよ。

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